カンボジアの悲しい歴史|レディースパンツができるまで
こんにちは海内です。
当社のレディースパンツは、様々な国で生産されていると以前紹介させて頂きましたが、その中でカンボジアでの生産についてこれから何回かに分けて紹介させて頂きます。
カンボジアってどんな国?みなさんご存知ですか?
まず今回はコレ抜きでは語ることのできない『カンボジアの悲しい歴史』について紹介させていただきます。
目次
- 強制労働、虐殺、拷問・・・
- ポルポト政権の終わり
- まとめ
強制労働、拷問、虐殺・・・
まず皆さんに知っておいて頂きたいカンボジアの悲しい歴史から。
今から約40年前の1975年~1979年頃のたった3年8か月の間で、なんと国民総人口800万人のうち200万~300万人が大量虐殺されました。
国民の3人に1人が殺されたという事を想像してみてください。
原始共産制の実現を目指したポル・ポト政権によって、思想構造の名のもと、教師・医者・資本家・宗教関係者などの反対勢力になりそうな知識人と思われる人たちが真っ先に捕えられ拷問され虐殺されたそうです。
次第にそれはエスカレートしてその家族、親戚、友達へと広がりさらには英語を話せる、本を読んでいる、メガネをかけている、顔立ちが整っている、恋人がいる、歌をうたった・・・
ここまで来るともうメチャクチャすぎて言葉も出ません。
子供や産まれたばかりの赤ちゃんまで次々と虐殺されました。
そしてポルポトは思想に染まっていない子供達を洗脳し社会の重要なポジションに付けました。
強制収容所の看守や兵士も医師も知識や良識のない子供だったそうです。
反対する人、不平を口にする人は全て洗脳された子供たちによって政府に密告され捕えられ拷問され虐殺されたそうです。
こんな悲しい歴史がたった40年前にカンボジアでは起こっていたのです。
ポルポト政権の終わり
子供たちが大人を監視する世の中で、常識や、理性など何もなく、残された国民は密告に怯えながら黙々と働き続けるだけだった。
当時これらのことは外部に報道されることはなく世界に知られることはありませんでした。
1977年ベトナムとの国境の領有を主張するポルポト政権がベトナム領域を攻めて両国の国境紛争は深刻化した。
しかしカンボジア政権の幹部がベトナムへ亡命し、ベトナム軍と一緒にカンボジアに攻め込んだ。子供兵士はあっさり破れ、1979年ポルポト政権の地獄のような4年間は終わりを迎えたのです。
しかしこの後もカンボジア国内では内戦が続き、今から27年前の1991年にカンボジア和平協定が成立しようやく内戦は終結した。
1993年に選挙が実施され憲法を改正。ようやく安定を回復しカンボジア王国となりました。
まとめ
1979年のポルポト政権が終結したその時の国民の85%が14歳以下の子供だったそうで、今カンボジアに行っても高齢の方を見ることはほとんどありません。
こんな悲しい歴史がたった40年前にあったという事。
このカンボジアで当社のパンツを生産していく上で、まずこの歴史を知ってほしいと現地の日本人スタッフの方に教えていただきました。
ポルポト政権時代の悲しい歴史について、詳しく知りたい方はご覧になってみてください。
http://junkuwabara.com/?p=2336
http://bokutabikimitabi.com/killing-field-7126.html
次回はカンボジアの今についてご紹介させて頂こうと思います!
海内 孝治
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