アパレルにとっての平成

こんにちは。福永泰士です。
ついに「平成」が終焉を迎えようとしています。
今回はアパレルにとって平成がどのような時代だったか、振り返ってみようと思います。

 

目次

  • 中国へ
  • 商社丸投げ
  • チャイナ・プラスワン

 

中国へ

平成元年(1989年)のアパレル輸入は、金額で約1兆円、数量で約32万トンでしたが、2018年には金額で3兆円以上、数量で108万トン以上にまで増え、3倍以上の増加になっています。その増え続けた輸入の中心は中国です。日本のアパレルは人件費の安い中国へ縫製地をシフトしていきました。

 

商社丸投げ

海外にシフトする前までは、アパレルは自社工場や協力工場を日本国内に持ち、自前で生地選定から、デザイン、パターンなど企画をつくり、縫製していました。
海外にシフトが進むにつれて「商社丸投げ」という言葉が出てきました。貿易などに精通していなくても、商社に依頼して簡単に輸出入を行うアパレルが増えました。貿易だけではなく、売場にある売れ筋商品を購入し、企画を自前で行わず、それをそのままつくるよう商社に依頼するアパレルもでてきたのです。

 

チャイナ・プラスワン

その後は、生産が中国に偏りすぎてしまう「チャイナリスク」の流れが加速しました。生産面だけではなく、中国の経済成長に伴う人件費上昇、人手不足、環境規制などもチャイナリスクとなりました。
そこから「チャイナ・プラスワン」の時代となります。ベトナム、カンボジア、ミャンマー、バングラデシュなどが日本向けの縫製地として注目されるようになり、その流れは今も継続しています。
現在日本の市場で販売されているアパレル製品のうち、日本国内で生産された商品は2%強くらいの割合しかありません。

さて、令和はどのような時代になるのでしょうか。